常に教育観の見直しを

教育者として心しなければならないことの一つに「『教育観』の見直し」があります。
私たちは,憲法に定められた国民の義務の一つである「教育の義務」を履行するために設けられた「学校」で,国 民の保護する子女に普通教育を授けるための仕事をする「教師」として任じられています。
私たちは誰のために教育を行っているのかというと,もちろん「目の前の子どもたちのために」,なのですが,それだ けにとどまらず,義務を履行しようとする保護者のため,そして憲法を定めた日本国のために行っていると言えます。 つまり,私たちは,教育を行う心構えとして,目の前にいる子どもだけでなく,その保護する国民,そして国家を視野に 入れて子どもと対峙しなければならないということになります。
(1) 「子どもたちは自分のものである」という認識
私たちが,意外に陥りやすいのが,「担任する子どもたちは,自分のものである。」という認識です。この認識は,自 分では意識している,いないにかかわらず,我々教師の心に,静かに,そして足早に近づいてきます。
一つの例を挙げてみます。
毎学期に書く通信票の所見に,時折次のような表現をみつけることがあります。
「配布係の仕事を毎日忘れずに行ってくれて,とても助かりました。」
これを,みなさんはどう読み解きますか?
この言葉の裏には,「子どもは自分のものだ」という教師の意識があります。「配布係は教師である自分を助ける仕 事で,その仕事を毎日忘れずにしっかりやってくれて,先生はとても助かったよ。ありがとう。」と捉えられますね。
「子どもは教師のために仕事をするもの」という意識が丸見えなのです。
そうではないですね。教師である自分のためでなく,将来国家を背負って立つ人材育成をねらって自分が教育と いう仕事を担っているという意識があるなら,上記のような表現にはならないはずです。
「配布係の仕事を毎日忘れずにしっかりと行っています。自分の仕事を誠実に処理しようとする姿勢は級友の見本です。」
(2) 「足りない点ばかりに目がいく」という傾向
教師の陥りやすい傾向として「子どもの悪い面,足りない点に目が行きがちになること」が挙げられます。
この世の中の事物,事象はすべて,陽と陰,表と裏,善と悪,清と濁・・・というように二面からできています。どちらか 一つということはありえません。教師がよかれと思って行っていることも常に二面から考える必要があります。
つまり,子どもの悪い面に目が行きがちな傾向への対処として,強く意識して「よい面を見つける」努力をしなけれ ばならないのです。
 すぐにカッとなってしまう ・・・・・・・・・  人一倍気を遣うやさしさがある
 言うことをきかない ・・・・・・・・・  自分の意志を持っている
 動作が遅い ・・・・・・・・・  物事にじっくり取り組む
 おとなしい ・・・・・・・・・  人の気付かないところも気付く敏感さがある
(3) 学び続けることの大切さ
子どもたちの喜ぶ顔を見ることはうれしいですね。教室中が爆笑の渦に包まれる瞬間は命が輝きますね。しーんと  静まりかえって全員が集中している時というのは背筋がピンとしますね。一日のうち,静と動のバランスのとれた魅力  ある学級をつくってほしいと願っています。
そのために,教師である私たちは学び続けなければなりません。常に自己の向上を目指さなければなりません。子どもの立場に立って考え,子どもを大切にし,目標に向かって努力している教師に,子どもは必ずついてきます。
まさに,目指す教師像の第一に掲げた「生き方のモデルとなる教師」こそが,今,求められているのです。
(平成18年5月15日)
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by tan230 | 2006-05-15 09:02 | 教育
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