小川のおばあちゃんのこと

鷺沼で酪農を営む小川さん宅のNさんは大正11年7月25日生まれの85歳のおばあちゃんです。農作業の傍らに一針一針縫った雑巾を,学校に時々届けてくれます。一週間ほど前の朝のこと。中村さんのお宅に伺ったときに,歩行器を押して歩くおばあちゃんとばったり会いました。
「おはようございます。」と挨拶をすると,「先生,らっきょうは食うげ?」とおばあちゃん。食べますよと答えると,「今度持ってぐがら。」と言いながら,お宅の方に向かって歩き出しました。
七月十日の朝早くに,おばあちゃんが学校にらっきょうを届けてくれたことを伝えききました。
何かお礼を,と,おばあちゃんの好きそうな梅干しを持って,その日の帰り道にお宅に寄りましたが,まだ畑で仕事をしているようで,誰もいませんでした。
七月十二日の昼前,おばあちゃんが学校にひょっこりとおいでになりました。らっきょうを持って。お渡ししたかった梅干しを校長室に持ち帰っていた私は,これでお渡しできると,ほっとしながらおばあちゃんを迎えました。

夢のようだ 
 
おばあちゃんは髪の毛が薄くなったためか,今は全体的に短く刈り上げています。皺はあるものの顔色はよく,その表情は丸くてとてもおだやかです。唐招提寺御影堂の鑑真和上様の御顔のようだな,と密かに思っている私です。おばあちゃんと話をしていると,「夢のようだ」という言葉が時々きかれます。
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今はシラミ持ぢの子どもはいめえ?オラの小学校の頃は,学校さ行ぐと,シラミ持ぢがいっぱいいでな,隣の子どものうなじをシラミが歩いでんだ。シラミは飛び移ってくっからな。みんなうづっちまって・・・。水銀軟膏を頭に塗って,手ぬぐいを被ってな・・・。かゆくてなー。掻ぐと血が出でな・・・。そうが,今はいねえが。それは夢のようだな。
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苦労した

大正から昭和へ,そして大東亜戦争を経て戦後の復興,高度成長,そして平成まで激動の時代を生きたおばあちゃんです。その生涯にはご苦労も多くあったことでしょう。
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まさが85まで生ぎるとは思わながったよ。若い時?若い時は「おどごおんな」って言われだよ。力仕事でも何でもやったがら・・・。働ぎ通しだったー。舅が厳しい人でな・・・。今の人等はわがんめぇなぁ。
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挨拶する子どもらはめんこいな

野田の子どもたちはおばあちゃんに挨拶しますか?
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知ってる子どもらはよーぐ挨拶すんなぁ。「おはよう」とが「ただいま」って声かげられると,うれしいもんだな。知らねえ子どもはあっちの方を向いで,だまーって行っちまう。坊主あだまの変な婆さんだと思ってんのがもしんねぇ。
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きたねえって

おばあちゃんは何時頃起きるんですか?
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朝は四時半には起きちまうなぁ。一度目が覚めだらもう寝でいらんねぇ。昼間に眠ぐなったら,どごでも寝ちまうよ。寝るのは十一時すぎだな。
今はお風呂もお湯が好きなだげ出でくっからな。夢のようだー。一度入って出ると,若いていら,すぐにぶんぬいちまう。きたねえ,きたねえって言うげど,もったいねえなあ。
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ああ,全てを受け入れて,一生懸命生きてきたおばあちゃんが,静かに私の前に座っています。飾りのないその言葉に,汚れのないその表情に,私は涙が出るような思いで,ただ,おばあちゃんを見つめていました。
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by tan230 | 2007-07-12 19:59 | 教育
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