「バカの壁」の壁

養老孟司氏のベストセラー「バカの壁」(2003年4月 新潮社)の第7章に次のような文章があります。

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でもしか先生
教育の現場にいる人間が,極端なことをしないようにするために,結局のところ何もしないという状況に陥っているという現状があります。実際には,物凄く厳しい先生は,生徒に嫌がられるけれど,後になると必ず感謝される。それが仮に間違った教育をしても,少なくとも反面教師にはなりうるということになる。が,最近ではそんな厳しい先生はいなくなってきた。下手なことをして教育委員会やPTAに叩かれるよりは,何もしない方がマシ,となるからです。
反面教師になってもいい,嫌われてもいい,という信念が先生にない。なぜそうなったのか。今の教育というのは,子供そのものを考えているのではなくて,先生方は教頭の顔を見たり,校長の顔を見たり,PTAの顔を見たり,教育委員会の顔を見たり,果ては文部科学省の顔を見ている。子供に顔が向いていないということでしょう。
よく言われることですが,サラリーマンになってしまっているわけです。サラリーマンというのは,給料の出所に忠実な人であって,仕事に忠実なのではない。職人というのは,仕事に忠実じゃないと食えない。自分の作る作品に対して責任を持たなくてはいけない。
ところが,教育の結果の生徒は作品であるという意識が無くなった。教師は,サラリーマンの仕事になっちゃった。「でもしか先生」というのは,子供に顔が向いていなくて,給料の出所に対して顔が向いているということを皮肉に言った言葉です。職があればいい,給料さえもらえればいいんだと,そういうことで先生に「でも」なったか,先生に「しか」なれなかった。
そういう社会で,現に先生が子供に本気で面と向かって何かやろうとしたら大変なことになってしまう。その気持ちはわかる。親は文句を言うし,校長にも怒られるし,PTAも文句を言う。自分の信念に忠実なんてとてもできません。仕方ないから適当にやろうということでしょう。

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養老氏は医学,特に解剖学が専門です。東大医学部教授をおつとめになった立派な先生ですが,上記の文章を読んで,皆さんはどんな感想を持たれますか?
この本は,養老氏ご本人の文章でない(独白したものを新潮社の編集部が文章化した)としても,私は,なんとも腹立たしい思いにかられるのです。今の教員は,「子供のことを考えずに,お上ばかりを見て,事なかれ主義の仕事をしている」と断定しています。最終段落には「現に先生が子供に本気で面と向かって何かやろうとしたら大変なことになってしまう。」とありますが,どんな大変なことが起こるというのでしょう。
養老氏は,この本の第1章で次のように述べているのを忘れたのでしょうか?


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知識と常識は違う
日本には,何かを「わかっている」のと雑多な知識が沢山ある,というのは別のものだということがわからない人が多すぎる。

現実とは何か
「わかる」ということについて考えを進めていくと,「そもそも現実とは何か」という問題に突き当たってきます。「わかっている」べき対象がどういうものなのか,ということです。ところが,誰一人として現実の詳細についてなんかわかってはいない。
たとえ何かの場に居合わせたとしてもわかってはいないし,記憶というものも極めてあやふやだというのは,私じゃなくても思い当たるところでしょう。
ところが,現代においては,そこまで自分たちが物を知らない,ということを疑う人がどんどんいなくなってしまった。皆が漫然と「自分たちは現実世界について大概のことを知っている」または「知ろうと思えば知ることができるのだ」と思ってしまっています。

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養老氏は,自分が,「物を知っていると思っているバカな人間の典型だ」と言いたいのでしょうか?
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by tan230 | 2007-11-09 12:20 | 教育
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