2007年 06月 18日 ( 1 )

雷教師

「地震雷火事親父」とか「雷親父」なる言葉は死語になったと言われます。ならば,それになり代わって,私たち教師が「雷教師」となりましょう。
「雷教師」は,昨日付けの下野新聞を読んでいて,ふと思い浮かんだ言葉です。
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どうもわが国には子どもに甘い家庭が多いらしい。財団法人・日本青少年研究所が日本を中国,韓国と比較したところ,[先生や親の言うことをよく聞きなさい]と親に言われる子どもは二割前後で,中韓両国の半分程度だった。[ゲームをやめなさい][うそをついてはいけない]と言われる子どもも両国に比べて相当少ない。親が雷を落としていないことがわかる。子どもの将来を考えると,やさし過ぎるのは考えものだ。時には雷を落としたい。夫婦のどちらでもいいが,やはり雷といえば親父の方が座りがいい。十七日は父の日。
(2007年6月17日付 下野新聞 雷鳴抄より)
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また,今朝の読売新聞のトップは「親の理不尽な要求,抗議に学校苦慮-18教委クレーム対策-」という記事でした。ようやく親の在り方に口を出す記事が出てきたことを嬉しく思うと同時に,そのクレームの内容の「いいかげんさ」には,ほとほとあきれました。自己中心のわがまま三昧,周りの迷惑考えない,・・・要するに常識はもちろん品位も知性もなく暴徒と化した大人の蔓延は,わが国の滅亡を予感させるに十分なるものがあります。
「国滅ぼすにゃ~刃物は~いらぬ~ だめな~教育すれば~よい~」と,都々逸の一つも唸りたくなるというものです。
だめな教育とは,自由放任主義,責任果たさず自己主張通す,周りのことより自分が大事,自分責めずに他を責めるといった価値観を植え付ける教育です。これを徹底的にたたき込むのです。いや,「徹底的にたたき込む」という表現は似つかわしくありませんね。これらの価値観は,たたきこまなくても心の底から「むくむく」といくらでも湧き上がってくるものだからです。

学校が責任をもって徹底的にたたき込むこと,それは,やはり辛抱することと協調することだと思います。「不易と流行」という言葉が平成元年以降教育界を席巻しています。最近,私は,「辛抱と協調」こそが「不易」ではないかと思うのです。不易とは普遍の教育内容であり,流行とは時代により地域により変化する教育方法だといえましょう。そう考えると,不易と流行は対立する概念ではなくて一体であり,例えるなら鶏卵のようなものではないかと思います。不易なるものとは鶏卵の中身,流行とは卵の殻です。
  不易なる辛抱の黄身と協調の白身を護る流行の殻  友部丹人

「楽しい学校」という表現にも私は首を傾げます。楽しいだけでは遊園地ではあり,学校ではないと思うのです。苦しさを乗り越えて楽しさがあること,辛さを乗り越えて成長があること,などの「辛抱」体験をさせることこそが学校の真の存在意義だと思うのです。子どもの側に立つとか,一人一人を大切にするという言葉の真の意味を取り違えた教育は,先に述べた,自由放任主義,責任果たさず自己主張通す,周りのことより自分が大事,自分責めずに他を責めるといった滅国者の価値観を生むことに繋がる危険性も大いにあることを肝に銘じたいものです。
題名の「雷教師」ですが,いつもいつも雷ではだめですね。ヒステリー教師でもなく,文句教師でもなく,ここぞという時に子どもの心に締まりと筋(心棒)をつくる雷を落とせる教師でありたいものです。
(平成19年6月18日)
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by tan230 | 2007-06-18 21:44 | 教育