カテゴリ:教育( 41 )

「バカの壁」の壁

養老孟司氏のベストセラー「バカの壁」(2003年4月 新潮社)の第7章に次のような文章があります。

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でもしか先生
教育の現場にいる人間が,極端なことをしないようにするために,結局のところ何もしないという状況に陥っているという現状があります。実際には,物凄く厳しい先生は,生徒に嫌がられるけれど,後になると必ず感謝される。それが仮に間違った教育をしても,少なくとも反面教師にはなりうるということになる。が,最近ではそんな厳しい先生はいなくなってきた。下手なことをして教育委員会やPTAに叩かれるよりは,何もしない方がマシ,となるからです。
反面教師になってもいい,嫌われてもいい,という信念が先生にない。なぜそうなったのか。今の教育というのは,子供そのものを考えているのではなくて,先生方は教頭の顔を見たり,校長の顔を見たり,PTAの顔を見たり,教育委員会の顔を見たり,果ては文部科学省の顔を見ている。子供に顔が向いていないということでしょう。
よく言われることですが,サラリーマンになってしまっているわけです。サラリーマンというのは,給料の出所に忠実な人であって,仕事に忠実なのではない。職人というのは,仕事に忠実じゃないと食えない。自分の作る作品に対して責任を持たなくてはいけない。
ところが,教育の結果の生徒は作品であるという意識が無くなった。教師は,サラリーマンの仕事になっちゃった。「でもしか先生」というのは,子供に顔が向いていなくて,給料の出所に対して顔が向いているということを皮肉に言った言葉です。職があればいい,給料さえもらえればいいんだと,そういうことで先生に「でも」なったか,先生に「しか」なれなかった。
そういう社会で,現に先生が子供に本気で面と向かって何かやろうとしたら大変なことになってしまう。その気持ちはわかる。親は文句を言うし,校長にも怒られるし,PTAも文句を言う。自分の信念に忠実なんてとてもできません。仕方ないから適当にやろうということでしょう。

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養老氏は医学,特に解剖学が専門です。東大医学部教授をおつとめになった立派な先生ですが,上記の文章を読んで,皆さんはどんな感想を持たれますか?
この本は,養老氏ご本人の文章でない(独白したものを新潮社の編集部が文章化した)としても,私は,なんとも腹立たしい思いにかられるのです。今の教員は,「子供のことを考えずに,お上ばかりを見て,事なかれ主義の仕事をしている」と断定しています。最終段落には「現に先生が子供に本気で面と向かって何かやろうとしたら大変なことになってしまう。」とありますが,どんな大変なことが起こるというのでしょう。
養老氏は,この本の第1章で次のように述べているのを忘れたのでしょうか?


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知識と常識は違う
日本には,何かを「わかっている」のと雑多な知識が沢山ある,というのは別のものだということがわからない人が多すぎる。

現実とは何か
「わかる」ということについて考えを進めていくと,「そもそも現実とは何か」という問題に突き当たってきます。「わかっている」べき対象がどういうものなのか,ということです。ところが,誰一人として現実の詳細についてなんかわかってはいない。
たとえ何かの場に居合わせたとしてもわかってはいないし,記憶というものも極めてあやふやだというのは,私じゃなくても思い当たるところでしょう。
ところが,現代においては,そこまで自分たちが物を知らない,ということを疑う人がどんどんいなくなってしまった。皆が漫然と「自分たちは現実世界について大概のことを知っている」または「知ろうと思えば知ることができるのだ」と思ってしまっています。

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養老氏は,自分が,「物を知っていると思っているバカな人間の典型だ」と言いたいのでしょうか?
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by tan230 | 2007-11-09 12:20 | 教育

全国学力・学習状況調査の結果から

全国学力・学習状況調査の結果が文部科学省から公表されました。
小学校6年生と中学3年生の国語,算数(数学)2教科における基礎的知識を問うA問題と活用力を見るB問題の全国及び都道府県別平均正答率と結果の考察が,今朝の新聞の第一面を飾り,ニュースでも取り上げられました。

全国で差のない平均正答率
今日の茨城新聞の論説の言葉を借りれば,「都道府県ごとの成績のばらつきはあまりなく,ほとんどが平均正答率プラスマイナス5ポイント以内。大都市と僻地との格差も縮小した。学校ごとの成績も約七割が,全国平均正答率のプラスマイナス10ポイントの範囲内に収まり「大きなばらつきはない」との分析だ。」昨夜,教育庁義務教育課の横瀬課長さんは記者会見で「期待していたが,全国平均を下回り残念である」と述べましたが,「この程度の差は許容範囲内であり,全く問題なし」と思う私は,「身内に甘い人間」でしょうか。

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知識の活用力が課題というけれど
A問題(基礎的知識)に比べてB問題(知識の活用力を見る応用問題)の正答率が低いことから,活用力に課題があるといわれます。果たしてそうでしょうか。AよりBがレベルが高いのだから正答率は低くて当然でしょう。「文章題とか関数とか応用問題は得意でしたか?」と全国民に問いたい私です。小学校時代は,計算大嫌い,文章題応用問題大っ嫌い人間の私でありました。当然ながら,点数も取れませんでした。

平行四辺形の問題について
新聞でもニュースでも取り上げられていたので,ちょっと一言。
平行四辺形の面積を求める問題は算数のA問題の一つです。正答率は,なんと96%。高すぎますね。
それもそのはずです。図形の中に,数字は4と6しかないのですから。公式を知っていなくとも,4×6以外の計算は考えられないでしょう。せめて,ABかCDに7cmとあったら,正答率は下がったでしょう。

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つまり,この問題が解けたからといって,平行四辺形の面積の公式である「底辺×高さ」を理解していることにはならないと思うのです。
活用力を見るというB問題では、中央公園と東公園とではどちらが面積が広いかを理由をつけて説明するというものです。
「正答率はなんと18.2%だった。困ったものだ。」と嘆く声が聞こえます。
ちょっと見には,中央公園の方が広く見えるのはどうしてでしょう?また,一般的に「中央」と「東」では,その名前からして「中央」が広そうだと思うのは私だけでしょうか。

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この世は理由や理屈だけで動くものではありません。人には「勘」と「情」があります。時に勘
や情は,理を超越することを肝に銘じたいものです。あれ?私はいったい何を言おうとしているのでしょう。

学習状況調査の結果
学力調査と併せて実施した「学習状況調査」については,新聞でもニュースでも一切取り上げられていませんが,私は,ここにこそ今回の調査の大切なことがつまっているように思えてなりません。
たとえば,「学校で好きな授業がありますか」に「そう思う」と答えた割合は全国も県も77.0%。本校は86.7%。「学校で楽しみにしている活動がありますか」では,全国69.4%,県71.3%,本校86.7%。「人の役に立つ人間になりたいと思いますか」では,全国66.2%,県66.6%,本校75.6%。 「今住んでいる地域の歴史や自然について関心がありますか」では,全国17.8%,県19.4%,本校31.1%。しかし,気になるのは,テレビ・ゲームに費やす時間が全国,県の割合よりも多い(長い)傾向があることです。
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by tan230 | 2007-10-25 12:03 | 教育

運動会の思い出

あれは,今から四十年前。私は,K市立S小学校6年3組の児童でした。運動会は10月中旬ごろだったように記憶しています。6年生の種目には,徒競走の他に表現「大昔の生活」や鼓笛パレードをした記憶がうっすらと残っています。
運動会の何日か前に,担任の先生から運動会の閉会式の閉式の言葉を述べるように言われました。
ところが,先生は何も指導してくれません。私は,5年生の時の運動会の閉会式を思い出そうとしましたが,ぼんやりとして,閉式の言葉などどんなものだったか全く思い出せませんでした。「これで閉会式を終わりにします。」でいいのかな・・・それでいいや,と一人考えていました。今になって考えると,なぜ先生に相談しなかったのかと思います。でも,先生に相談するというのは,勇気が要りますよね。私は勇気のない小学生でした。加えて,「面倒くさがり」だったのです。
しかし,当時の先生も先生です。何にも指導しないのですから。
先生という職業が,なんともまあ,のんびりとしたもので,仕事の少ない時代だったことでしょう。
吉幾三の「おら東京さ行ぐだ」ではありませんが,学年だよりがありません。もちろん学級通信など小学校時代を通じて一度も出たことはありません。先生が,朝,教室に入ってきて,「ちょっと今日は調子がよくないんだ。」と言えば,クラスのみんなは,心配をかけまいと,黙って自習に励んだものでした。一年生のときの担任の先生は,「先生は風邪をひいて喉が痛むので喉の薬をなめますね。」と言って,あのおいしそうなMミルクキャラメルをよくなめていました。天使の舞う図柄の箱の眩しい黄色が目に焼き付いています。私たちは,ただじっと,それを見て,見ないふりをしていたのでした。
校長先生は毎週月曜日の朝礼で,朝礼台の上に立った姿を見て話をきくだけでした。近くでお会いしたのは,表彰式で賞状をもらう時だけでした。しかし,賞状をもらうことはめったにないことなのでした。
それにしても,当時の先生方の欠点ばかりが見えてしまうというのはどうしたことでしょう。つくづく自分の性悪さを感じてしまいます。
そうそう,閉会の言葉でしたね。
運動会当日になりました。開会式の開式の言葉に耳を傾ける少年がいました。
「これから,昭和四十二年度S小学校秋季大運動会の開会式を始めます。」
これをきいて,「昭和四十二年度S小学校秋季大運動会」って言うのか・・・と思いました。
開会式の閉式の言葉にも,真剣に耳を傾ける少年がいました。
「これで開会式を終わります。赤も白も一生懸命頑張りましょう。」
あれっ!「昭和四十二年度」は省略したな。ありゃ!「赤も白もがんばりましょう」かー・・・
閉会式では何て言ったらいいのかな・・・?・・・しばらく考えて・・・
「これで,閉会式を終わりにします」でいいや。それに決めた!と。
競技が終わって,いよいよ閉会式となりました。心臓がドキドキしています。一つ一つが済んでいよいよ閉式の言葉になると,ドキドキは最高潮に達していました。
壇上に上がり,礼をしてマイクの前に進み出ました。
「これで」,と言ったところで,<こんなに大勢の人の前で言うのだから,ちゃんと言わなくちゃ>と瞬間的に判断した脳が,口に命令しました。
・・・昭和四十二年度S小学校秋季大運動会の閉会式を終わりにします。」
言い終わりました。 ほっとしました。礼をして階段を降りても,心臓はドキドキ,膝はガクガクでした。
終わって教室に戻っても,担任の先生は私に何も言いません。

ここまで書いて,ふと思いました。
もしかすると,先生は,指導もしたし,終わった後で何か言葉をくださったかもしれない,と。ただ,私の脳裏に全く残っていないだけなのかも,と。
いやいや,それほど先生を立てなくてもいいかもしれません。何しろ全く記憶にないのですから。
まあ,先生の指導はどうであれ,自分にとっての「閉式の言葉」は,これだけ鮮明に覚えている出来事であり,その後の自分に自信をつけるまたとない体験であったことは事実なのです。

明日は運動会。児童が自分に自信をつける素晴らしい運動会となることを期待して・・・。
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by tan230 | 2007-09-21 20:09 | 教育

道徳教育の位置

教育再生会議の第二次報告(6月1日)の内容について述べます。
この会議は安倍前総理の肝いりで招集されました。安倍総理が退陣した今,三次報告は出さずに会議は解散するのでしょうか。是非そうしてほしいものです。第二次報告を読む限り,こんな報告しか出せない会議に莫大な税金が使われたのかと思うと忸怩たる思いにとらわれるからです。
第二次報告の学校教育に関する部分では次のような提案がなされています。
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Ⅰ 学力向上にあらゆる手立てで取り組む -ゆとり教育見直しの具体策-

提言1 授業時数10%増の具体策
【夏休みの活用,朝の15分授業,40分7校時の実施,土曜日の授業実施】
提言2 全ての子供にとって分かりやすく,魅力ある授業にする
【教科書の分量を増やし質を高める,主権者教育など社会の要請に対応した教育内容・教科再編,全教室でITを授業に活用,「教育院」構想,全ての子供一人ひとりに応じた教育】
提言3 教員の質を高める,子供と向き合う時間を大幅に増やす
【社会人採用のための特別免許状の活用促進,授業内容改善のための教員研修の充実,教員評価を踏まえたメリハリある教員給与体系の実現,教員の事務負担軽減】
提言4 学校が抱える課題に機動的に対処する
【学校の危機管理体制の整備,学校問題解決支援チームの創設,学校,教育委員会の説明責任,全国学力調査の結果を徹底的に検証・活用し,教員定数や予算面で支援】
提言5 学校現場の創意工夫による取組を支援する
【学級編制基準の弾力化や習熟度別指導の拡充,学校選択制を広げる,教材開発など教員のチームによる取組】

Ⅱ 心と体 - 調和の取れた人間形成を目指す

提言1 全ての子供たちに高い規範意識を身につけさせる
【徳育を教科化し,現在の「道徳の時間」よりも指導内容,教材を充実させる】
提言2 様々な体験活動を通じ,子供たちの社会性,感性を養い,視野を広げる
【全ての子供に自然体験(小学校で1週間),社会体験(中学校で1週間),奉仕活動(高等学校で必修化)を】
提言3 親の学びと子育てを応援する社会へ
【学校と家庭,地域の協力による徳育推進,家庭教育支援や育児相談の充実,科学的知見の積極的な情報提供,幼児教育の充実,有害情報対策】
提言4 地域ぐるみの教育再生に向けた拠点をつくる
【「放課後子どもプラン」の全国での完全実施,学校運営協議会の指定促進】
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この報告に対して玉井康之氏(北海道教育大学長補佐)は,*「文科省の既設の文教政策を追認したもので,新鮮な提案ではない」と痛烈な一撃を加えています。
特にⅡの提案1の「徳育の教科化」には,開いた口がふさがらない思いをしましたが,8月31日付の読売新聞社会面記事「日本人のマナー『悪くなった』88%」の中の「政府の教育再生会議は,道徳の時間を徳育として教科に格上げする方針を打ち出している」というくだりには,呆然としてしまいました。
教育再生会議には,教育学者は一人もいないのでしょうか?
吉田武男氏(筑波大学大学院准教授)は,*「教育学の視点から見れば,徳育の教科化は,道徳教育の格上げではなく,愚弄的な格下げを意味している。」「道徳教育は教科教育のうえに位置づけられるべきものであって,いやしくも教科教育と同列に扱うべき程度のものでは決してないのである。」「道徳教育は,指導方法を工夫して時間をかけさえすれば大部分の知識・技能を習得させられるような教科教育とは根本的に異なっているからである。」と述べ,稚拙極まりない提案に一喝を与えています。胸のすく思いです。
私は,このような提案が出てくる背景には,文科省の作成した生きる力の構造図に問題があると思うのです。
「確かな学力」を上に置き,左下に「豊かな人間性」を,右下に「健康・体力」を配置した「生きる力」の構造図・・・豊かな人間性も健康・体力も「下」で,学力が「上」・・・です。
提言には,健康・体力は一言も触れていませんが,構造図どおりに軽く扱ったとしか思えません。

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私は,生きる力の構造図をAからB(豊かな人間性の中に確かな学力・健康体力が含まれる)へ転換することこそ「教育再生会議」が提案すべき内容だと思えてならないのです。

* 教職研修(2007.9月号 教育開発研究所)から引用
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by tan230 | 2007-09-18 19:37 | 教育

マナーの問題は「ゆとり」の問題

9月3日付けの読売新聞社会面に,「悲鳴をあげる病院」なる記事がありました。急患のために行っている夜間診療に,緊迫した状況にない患者が我が物顔で診療を受けに来る,待ち時間が長いとキレて看護士に暴力を振るう,などなど。テレビを見れば,NHKの「クローズアップ現代」で最近増加傾向の「キレる中高年」を特集していました。例として紹介された事案は,通勤電車内。混み合う電車内に立っている真面目そうな中年男一人。男の立つ直前のソファに座っていた女子学生の携帯電話が鳴ります。電話を受けて話し始める女子学生。その様子を目をつり上げて見ている男。女子学生が電話を終えた瞬間,男が叫びます。
「おい,おまえ!電車内で携帯を使用しちゃあ,だめだろー!」
黙って男を見る女子学生。男は,さらに興奮した声で叫びます。
「なんだ,その目は!おまえは謝ることもできねーのか!みんな迷惑してんだよー!」
女子学生が言います。
「あなたの大声の方が,よっぽど迷惑です!」
男はますます興奮して叫びます。
「なんだ,このやろー。マナーも守れねえ小娘がー!」
女子学生が立ち,電車を降りようとするのを男は追いかけます。開いたドアから降りようとする女子学生の背中を男は両手に力をこめて,ドーン・・・。駅の構内に倒れる女子学生・・・
今や,キレて事件を起こす数は30~50歳の中高年で増加の一途なのだそうです。

事例をいくつか見ると,「キレる」事件には,二種類あることに気づきます。
一つは,人の迷惑を考えず,自分の思うとおりに事が進まないとキレるというもの。もう一つは,正義を振りかざし,マナー違反する人を一切許せなくてキレるというもの。
この後者には,深く考えさせられるものがあります。教員の児童生徒への体罰も,後者に属するのではないでしょうか。「自分の考えは正義である」という思いが曲者ですね。正義を振りかざしつつ不正をするとなれば,それは悲しい哉,不正以外の何者でもありません。

時の中で忙しく前へ進もうとする現代の日本。社会全体のマナーの低下が巻き起こす数々の事件。
文化も科学も豊かさ,便利さ,快適さを追い続ける世の中で,「待つ」とか「耐える」とか「辛抱」することのできない人間が増加しているということでしょうか。これこそ,まさに「ゆとり」がないということではないでしょうか。
学校も「確かな学力を身につけさせる」ことを第一の命題として,「自主性を重んじる教育」から「詰め込み主義の教育」への回帰が,すでに始まっています。

昭和53年,「ゆとりと充実」に始まった「ゆとり」路線は,全てが間違いだった,失敗だった,という烙印を押されました。「教育の現代化」への批判から教育内容を削減して笑顔で登場した「ゆとり」です。今や,体中痣だらけ,悪者,罪人扱いです。
「確かな学力」は,確かに快適な響きです。しかし,確かなものとは測定可能なものでありましょう。そうだとすれば,記憶力,身に付いた知識・技能です。学ぶ意欲も関心も含むなどと言われても,それらは心情の世界のものであり,「確か」なものとして測定できるほど単純なものではありません。それらは「確かでない学力」と言うべきでしょう。
知識,技能を一方的にたたき込むのではなく,興味を持たせながら,意欲を高めながら,じっくりと身につけさせていくという,辛抱そのものの取り組みが教育だと思います。
今日は全く覚えられなかったものが,一年後にはすんなりと覚えられるということもあります。まあ,尻をたたくまねをしながら(本当に叩いたのでは体罰になってしましますから)「たたき込む」こともあっていいでしょうが,そんな時でさえ,教師の心の中には,「ゆとり」が欲しいものだと思います。

私たちは,時計の振り子のように揺れ動く施策や世の風潮の「ど真ん中」にどんと座り,じっくりと腰を据えて,右を見て,左を見て,慌てることなく,温かな眼差しで目の前の子どもたちに,質の高い教育を行いたいものです。

いつかまた,再生回帰して不死鳥の如く炎を燃やすであろう「ゆ鳥~ゆとり~」の飛び去る姿を「またね!」と微笑みをもって見送りながら。
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by tan230 | 2007-09-10 08:50 | 教育

持つは「もつ」?

編集会議で

ある編集会議でのことです。分担した原稿の校正を全員で確認している中で,ある委員さんから次のような質問が出ました。
「『もつ』は手に持つとき以外はひらがな表記でないとおかしいので,○頁の○行目の『持つ』はひらがなに直すべきだと思うのですが。」
学習指導要領やその解説書においては,「持つ」は「もつ」と表記されています。学校で作成する文書もいきおい,それに倣っている現状があります。しかし,手に持つとき以外は「もつ」と書かなければならないというきまりなどどこにもないことを確認しておかなければならないな,思いました。
その席上,私は,「もつは持つと漢字で書いてよいこと。できるだけ執筆者の原稿を生かした方がよいと思うこと。ただし,広報として表記を統一することも時には必要。」という三つの内容を意見として述べました。
結局,「もつ」で統一することになりましたが・・・。

漢字の成り立ち

ご承知のように,漢字は成り立ちによって象形,指事,会意,形声の四つに,わが国固有の国字を加えて五種類に分類することができます。
遠い遠い昔のこと,目に見える事象,象徴的な動きや働きを絵に表したものから生まれた漢字です。時代が下がるにつれて目に見えない概念をも包括して表現できるまでに高度な深化を遂げた文字です。
「持」は,会意形声であり,ジ(もつ,はべるという意味を表す音)を寺に当てて,手を増し加えて作られた漢字です。手にもつことはもちろん,身に付けること,所有すること,そして心にもつことをも含めて使用するのが常です。
例えば,「持戒」という言葉がありますが,これは「心に戒めを持つ」という意味ですし,他にも,「力持ち」「金持ち」「所帯持ち」「気持ち」「心持ち」などと使用しています。

もし,手に持つだけが「持つ」なら

もし,手編は「手」だけ,木偏は「木」だけということがまかり通ってしまうと,どうなるでしょう。
「心を打たれる」・・・実際に手で打たれることではないから,「うたれる」にする。
「心が揺れる」・・・・実際は揺れていないので「ゆれる」にする。
「心が温かい」・・・・実際に温度が高いわけではないので「あたたかい」にする。
「心が寒い」・・・・・実際に低温になるわけではないので「さむい」にする。
「心に眠る」・・・・・実際に心の中に目があるわけはないので「ねむる」にする。
「学校」・・・・・・木造の舎の場合のみ使用。鉄筋コンクリートの場合は「学こう」または「学鉸」とする。
 ・・・
と,とめどなくひらがな書きが増え,混乱を巻き起こすことになるでしょう。

大陸では

大陸の方々は漢字しかないわけですから,上記のようなことは考えらないことでしょう。もっとも,大陸では「有」という漢字に「ある」,「もつ」の意味を持たせて使用しています。この漢字は右手に肉を持っている様を表しています。
でも,大陸には「右手に肉をもつ以外は『有』は使用できない」などと言う人は,たぶんいないでしょう。

ひらがな書きにする理由とは

ここで,あらためて思うことですが,文部科学省はなぜ「持つ」を使用しないのでしょう。手に持つのではないから,などと本気で思っているのでしょうか。
まあ,筆記する上では「持つ」と書くよりも「もつ」と書いた方が,時間的にも,経済的にも,地球環境保全の上でも,断然すぐれていると言えましょう。
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by tan230 | 2007-07-18 08:45 | 教育

小川のおばあちゃんのこと

鷺沼で酪農を営む小川さん宅のNさんは大正11年7月25日生まれの85歳のおばあちゃんです。農作業の傍らに一針一針縫った雑巾を,学校に時々届けてくれます。一週間ほど前の朝のこと。中村さんのお宅に伺ったときに,歩行器を押して歩くおばあちゃんとばったり会いました。
「おはようございます。」と挨拶をすると,「先生,らっきょうは食うげ?」とおばあちゃん。食べますよと答えると,「今度持ってぐがら。」と言いながら,お宅の方に向かって歩き出しました。
七月十日の朝早くに,おばあちゃんが学校にらっきょうを届けてくれたことを伝えききました。
何かお礼を,と,おばあちゃんの好きそうな梅干しを持って,その日の帰り道にお宅に寄りましたが,まだ畑で仕事をしているようで,誰もいませんでした。
七月十二日の昼前,おばあちゃんが学校にひょっこりとおいでになりました。らっきょうを持って。お渡ししたかった梅干しを校長室に持ち帰っていた私は,これでお渡しできると,ほっとしながらおばあちゃんを迎えました。

夢のようだ 
 
おばあちゃんは髪の毛が薄くなったためか,今は全体的に短く刈り上げています。皺はあるものの顔色はよく,その表情は丸くてとてもおだやかです。唐招提寺御影堂の鑑真和上様の御顔のようだな,と密かに思っている私です。おばあちゃんと話をしていると,「夢のようだ」という言葉が時々きかれます。
 ・・・・・・・・・・・・
今はシラミ持ぢの子どもはいめえ?オラの小学校の頃は,学校さ行ぐと,シラミ持ぢがいっぱいいでな,隣の子どものうなじをシラミが歩いでんだ。シラミは飛び移ってくっからな。みんなうづっちまって・・・。水銀軟膏を頭に塗って,手ぬぐいを被ってな・・・。かゆくてなー。掻ぐと血が出でな・・・。そうが,今はいねえが。それは夢のようだな。
 ・・・・・・・・・・・・

苦労した

大正から昭和へ,そして大東亜戦争を経て戦後の復興,高度成長,そして平成まで激動の時代を生きたおばあちゃんです。その生涯にはご苦労も多くあったことでしょう。
 ・・・・・・・・・・・・
まさが85まで生ぎるとは思わながったよ。若い時?若い時は「おどごおんな」って言われだよ。力仕事でも何でもやったがら・・・。働ぎ通しだったー。舅が厳しい人でな・・・。今の人等はわがんめぇなぁ。
 ・・・・・・・・・・・・

挨拶する子どもらはめんこいな

野田の子どもたちはおばあちゃんに挨拶しますか?
 ・・・・・・・・・・・・
知ってる子どもらはよーぐ挨拶すんなぁ。「おはよう」とが「ただいま」って声かげられると,うれしいもんだな。知らねえ子どもはあっちの方を向いで,だまーって行っちまう。坊主あだまの変な婆さんだと思ってんのがもしんねぇ。
 ・・・・・・・・・・・・

きたねえって

おばあちゃんは何時頃起きるんですか?
 ・・・・・・・・・・・・
朝は四時半には起きちまうなぁ。一度目が覚めだらもう寝でいらんねぇ。昼間に眠ぐなったら,どごでも寝ちまうよ。寝るのは十一時すぎだな。
今はお風呂もお湯が好きなだげ出でくっからな。夢のようだー。一度入って出ると,若いていら,すぐにぶんぬいちまう。きたねえ,きたねえって言うげど,もったいねえなあ。
 ・・・・・・・・・・・・

ああ,全てを受け入れて,一生懸命生きてきたおばあちゃんが,静かに私の前に座っています。飾りのないその言葉に,汚れのないその表情に,私は涙が出るような思いで,ただ,おばあちゃんを見つめていました。
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by tan230 | 2007-07-12 19:59 | 教育

さわやかなのだ そう(爽)なのだ

薄雲に覆われて爽やかな風の吹く昨日午前10時,本校体育館に約300人の人々が集い,島田市長さん,飯島議長さん,三輪教育長さんをはじめ多くのお客様が見守る中を,「野田学区コミュニティ さわやかな野田をつくる会発足総会」が挙行されました。
沼田区長さんから発足までの経過報告をおききしながら,その苦労のあとがしのばれ,区長さんをはじめ,本校PTA及び教育後援会の全面的な協力により,約七ヶ月の血のにじむような努力が実を結んだ総会であることを思い,胸が熱くなるのを覚えました。
会長に就任された石崎さんの挨拶は,力強くエネルギーに満ち満ちたもので,心打たれ,その熱意が伝わってきました。素晴らしい発足総会に立ち会うことができた幸せをしみじみと思う日となりました。

さわやかな野田をつくる会とは

目的 
野田学区住民全体がお互いに協力して,自主性を持ち明るく楽しい連帯感のある安全で安心の郷土をつくる。

会員 
野田小学校通学区全世帯

事業 
(1) 生活環境に関する活動(野田っ子まもローズの運営)
(2) スポーツ・レクリエーションに関する活動(三世代地域めぐり,親子球技大会)
(3) 広報に関する活動(広報紙の発行)
(4) 会員の健康増進に関する活動(地域の健康 づくり講習会)
(5) その他
*括弧内は本年度の事業

さわやかな野田をつくる会の発足を祝して

この会の発足を誰よりも喜んでいるのは「子どもたち」だと思います。年月が過ぎ,自分の子ども時代を振り返ったときに,よりよい故郷づくりをする大人の姿を思い浮かべ,そのような大人を目指す人となることでしょう。この会の特色は,子どもたちを真ん中に置いていることであり,地域と学校の結びつきを一層促進する会であることです。今次の教育改革において強く求められている「学校と家庭,地域との連携」を具現化する会であるという点でも注目すべきものであると,私は捉えています。

 さわやかな野田をつくる会の発足を祝ひて詠める一首と川柳一句  友部丹人
 この土地はいかなる地かと人問はば さわやかなのだ(野田)と皆こたへたり
 野田っ子は さわやかなのだ(野田) そう(爽)なのだ(野田)
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by tan230 | 2007-07-09 19:48 | 教育

どうぞ「よんろく」みなさん「さんなな」

26日の火曜日から業間休みと昼休みに一年生を校長室に招待して算数の勉強をしています。十の補数の学習が終わった今の時期に,その定着度を高めたいと,一学年担当の先生からの依頼を受けての実践です。
「さんすうの勉強にきました。失礼します。」
一年生十人ほどの元気な声が校長室に響きます。
「いらっしゃい。さあ,どうぞ。」
入り口近くに全員が一列に並ぶと,声を揃えて「よろしくお願いします。」と言って一礼します。
目を丸くして,大きな声で「はい。」と言う私に,ニコニコする一年生です。
自分が座るソファーの前に立ってもらいます。腰を下ろす前に,
「足は床に着けたまま,おしりをそっと下ろして下さい。」と言うと,
きりっとした姿勢で座ります。立派な一年生です。
「では,はじめますよ。どきどきしてますか?」の問いかけに,
「ちょっと,どきどき・・・」「ぜーんぜん・・・」など,さまざまな反応が返ってきます。

まずは,全員で練習をします。
「さん」・・・・・・・・「なな」,「おお,すごーい!」 (*・・・は時間を表しています。)
「ご」・・「ご」,「そうそう!早いねえ!」
「ろく」・・・・・・・・・「よん」,「はい,そうですね。」
「いち」・・・「きゅう」,「そうです。よくできました。」
「それじゃ,一人ずつ,やってみようか。」
・・・・・・・・
こんな風にすすめてみると,難易度は,おおよそ次のようでした。

  覚えやすいもの   5と5,1と9
  少し難しいもの   8と2,2と8
  難しいもの     7と3,3と7   6と4,4と6

なんとかうまく覚えられる方法はないかな,・・・と思いながら進めていて,・・・閃きました!

あいさつの「よろしく」 → 「よんろく」
帰りのあいさつ「さようなら」→「さんーなな」

これで説明すると,一年生の児童たちは大喜びです。
「どうぞ,よんろく」「みなさん,さんーなな」が教室で大流行?

翌水曜日になると,前日よりも確実によくできていることを実感しました。
覚える学習で大切なことは,
(1) ただ覚えろというのではなく,楽しい覚え方を考え出すおもしろさも教える。
   最終的には,教わらなくとも,自ら覚え方を創り出せるように。
(2) 楽しんで覚える場,競争して覚える場を設定する。
(3) できた,という喜び,満足感をもたせる。これが次への意欲につながる。

全学年の子どもたちに,このような関わりをもてる場があるといいな,と思っています。
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by tan230 | 2007-06-28 19:47 | 教育

授業の質を高める

水戸教育事務所の計画訪問が終わりました。おいでになった三人の指導主事よりたくさんのお褒めの言葉をいただきました。これ偏に先生方の日頃からの熱意ある職務への取組の成果であるとうれしく思います。
さて,2,3,4時間目に全学級の授業参観をさせてもらいました。いい授業が行われているな,と感心することしきりでした。一斉指導においては児童の集中度が,グループ活動においては児童の協力度が問われます。いずれも良かったと思います。
さて,本校の学校研究のテーマの中に,「質の高い授業の展開」という言葉があります。
授業の質を今一歩向上させるために,見直してほしい点をいくつか述べてみます。

(1) 授業成立の基本的条件 -児童一人一人の目をしっかりと見る-
後を向いている児童,下を向いている児童,ノートをとっている児童,バラバラな状態なのに授業を進めてはいけません。学習習慣をきっちりとつけながら,集中度の高い授業を目指したいものです。
授業成立の基本的条件とはどんなことでしょう。
心に浮かぶままに書き出してみると・・・
① きれいな黒板,机の整列,教科書ノート鉛筆の用意
② 姿勢を正させ,教師の方をきちんと向かせる。
  (児童が聞きたくなるような話をすることが大事)
③ 一人一人の目を順にしっかりと見,全体を掌握しながら話をする。
④ 抑揚を付け,はっきりとした発音で,声にメリハリを付け,児童の心にしみ込むように話す。
⑤ 必要以上に話さない。ダラダラ,べらべらはだめ。
⑥ 始め,終わりの指示を明確に出す。聞くときは全員が聞く,書くときは全員が書く。
⑦ 板書するときは,児童の顔をしっかり見,児童の状況を把握しながら丁寧に書く。
⑧ 個への対応は,全体への活動の指示をしてから行う。

(2) めあてを明確にもたせるために -教師自らが明確なねらいを設定する-
教師がもつものが「ねらい(目標)」,児童が心に湧かせるものが「めあて」です。
学習指導の分科会では,「めあてを明確にする手だて」について協議が行われました。深まりのある内容だったなと思います。はじめにY先生より,算数科における実践をもとに5つの手だてについての提案がありました。
①導入時に具体物を用いて課題を捉え易くする工夫  
②授業のねらいを明確にし「○○しよう」といった児童の行動を促す表現を用いた工夫 
③振り返りカードを活用して,授業の反省から次時のめあてを児童が自ら生み出す工夫 
④練習問題は難易度により自転車問題・自動車問題・新幹線問題の三種類を用意し,児童に選択,挑戦させ,満足感をもたせることによる意欲向上からめあてをもたせる工夫
⑤座席表を補助簿として活用し,個々の状況を書き入れ,蓄積・分析しての児童への支援の工夫
これらの工夫を聞きながら,めあてを明確にするには授業全体の見直しが必要であることをあらためて感じるとともに,教師自らが授業のねらいを明確にもつことの重要性を痛感しました。

(3) 教師の話二割ダウンによる児童の活動二割アップ
O指導主事からのこの助言は,「質の高い授業の展開」のために極めて重要であると思います。
「教師の話二割ダウン」のためには話す内容の整理,精選が必要でしょう。特に心がけたいことは,授業開始から課題把握(めあての明確化)までの時間をいかに短縮させるかでしょう。授業開始の時刻になっても授業の用意ができていない児童がいたり,授業への気持ちの切り替えができない児童がいるようではいけませんね。基本的学習習慣の定着の指導も極めて大切です。
グループ活動においても,話し合いが進まない(話をしていない)ということもあります。これではグループにした意味がないし,活動も停滞してしまいます。グループ活動がいいのか,ペア学習がいいのか,学び合い(協調)の活動においては,さまざまな工夫をしてほしいと思います。
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by tan230 | 2007-06-25 19:32 | 教育