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教員評価の導入に思う

本年度から「教員評価」が試行が始まりました。
評価といえば,これまでは,児童生徒の学習状況や生活状況の評価,あるいは学校の経営状況の評価は行われてきましたが,教員一人一人を評価することが前面に出ることはありませんでした。しかし,保護者間においては,わが子を担任する教員はどうであるか,「当たり」か「はずれ」かは大きな関心事の一つであり,「あの先生はいい」「あの先生はだめ」という「評価」が,日本国中どこでも行われています。
私たち教員は,保護者による高い評価を獲得することも極めて重要です。
(1) 結果としての評価
どんな評価もそうであるように,教員評価においても,評価は先にあるのではなく,結果としての評価であることを肝に銘じたいものです。つまり,よい評価をもらおうとしての仕事ではなく,目の前の児童のためにできることを精一杯行った結果としてよい評価が付いてくる,というスタンスです。
「よい評価をもらおうとしての仕事」と「結果として付いてくる評価」とはどう違うのかを考えてみたいと思います。
前者の場合は,児童を中心に置かず,自分を中心に置いていることが多いと思われます。自分をよく見せることが目的となります。児童が思うような動きをしない場合,その責任を己の指導方法に見いだそうとするよりも,児童が悪いから・・・と転嫁することにもなると思われます。
それに対して,後者の場合はどうでしょう。目の前の児童を少しでも成長させたいという熱意に裏付けられた仕事は「崇高さ」があります。教師としての自分は「野垂れ死に」しようとも・・・という捨て身の姿です。児童の幸せの追求を最前面に打ち出した教育実践です。「よろこんでお世話をさせていただく」という構えです。
世話とは,福澤諭吉が「学問のすすめ」の中で述べているように,「保護」と「命令」の二つがありますね。保護とは「人格を認め,大事にすること」であり,「命令」とは「成長を期待して指示し,時には厳しく諫めること」です。
(2) 教員評価の醍醐味は
教員として,最もうれしいことは,児童生徒から慕われ憧れられる教師となることではないでしょうか。「先生に教えてもらえてよかった,ありがたかった」と言ってもらえたときのうれしさは,教師冥利に尽きるものだと思います。
今年から始まった教員評価では,第1次評価者は教頭,第2次評価者は校長です。しかし,教員にとって,一番の評価者は「児童生徒」であり「保護者」であることは自明の理です。
(3) 評価とは期待すること
教員は学期毎に児童生徒を評価して通知票を作成します。これは,とても難しいことですね。A,B,Cや1,2,3 で表すことへの躊躇が常に付いて回ります。それは,評価に「完璧」は有り得ないからです。
評価はこれとこれを使ってこうすればよい,と算数の公式のように結果の出るものではありません。ですから,自分が数値を付けて評価する立場にあることへの「畏れ」をなくしてはならないと思います。なぜなら,その数値や記号一つで,一人の人間の人生を左右するかもしれない・・・それほど重いものであるからです。
このように考えたとき,「評価とは期待すること」と捉えるべきであり,その基本は,「やる気につながる」ものにすることだと思うのです。  
(4) 人事考課制度の導入
教員評価結果を給料に反映させることへの危惧を抱いている人も少なくありません。教員評価は教員集団を分裂させるものだと言い切る人もいます。しかし,もともと分裂しているのが集団なのです。今でさえ,「給料泥棒」と揶揄されている人もいるではありませんか?分裂を統一に変えるには,いつの時代も構成員一人一人の努力が必要なのです。
SABCDの5段階の評価値でSは特別昇給,Dは昇給延伸,それ以外は現在と変わりないのではないかと思います。熱意をもって精一杯仕事に取り組む人の給料は下がるはずがないし,是非そうあってほしいと思うのです。
(平成19年2月15日)
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by tan230 | 2007-02-15 09:25 | 教育