<   2007年 09月 ( 3 )   > この月の画像一覧

運動会の思い出

あれは,今から四十年前。私は,K市立S小学校6年3組の児童でした。運動会は10月中旬ごろだったように記憶しています。6年生の種目には,徒競走の他に表現「大昔の生活」や鼓笛パレードをした記憶がうっすらと残っています。
運動会の何日か前に,担任の先生から運動会の閉会式の閉式の言葉を述べるように言われました。
ところが,先生は何も指導してくれません。私は,5年生の時の運動会の閉会式を思い出そうとしましたが,ぼんやりとして,閉式の言葉などどんなものだったか全く思い出せませんでした。「これで閉会式を終わりにします。」でいいのかな・・・それでいいや,と一人考えていました。今になって考えると,なぜ先生に相談しなかったのかと思います。でも,先生に相談するというのは,勇気が要りますよね。私は勇気のない小学生でした。加えて,「面倒くさがり」だったのです。
しかし,当時の先生も先生です。何にも指導しないのですから。
先生という職業が,なんともまあ,のんびりとしたもので,仕事の少ない時代だったことでしょう。
吉幾三の「おら東京さ行ぐだ」ではありませんが,学年だよりがありません。もちろん学級通信など小学校時代を通じて一度も出たことはありません。先生が,朝,教室に入ってきて,「ちょっと今日は調子がよくないんだ。」と言えば,クラスのみんなは,心配をかけまいと,黙って自習に励んだものでした。一年生のときの担任の先生は,「先生は風邪をひいて喉が痛むので喉の薬をなめますね。」と言って,あのおいしそうなMミルクキャラメルをよくなめていました。天使の舞う図柄の箱の眩しい黄色が目に焼き付いています。私たちは,ただじっと,それを見て,見ないふりをしていたのでした。
校長先生は毎週月曜日の朝礼で,朝礼台の上に立った姿を見て話をきくだけでした。近くでお会いしたのは,表彰式で賞状をもらう時だけでした。しかし,賞状をもらうことはめったにないことなのでした。
それにしても,当時の先生方の欠点ばかりが見えてしまうというのはどうしたことでしょう。つくづく自分の性悪さを感じてしまいます。
そうそう,閉会の言葉でしたね。
運動会当日になりました。開会式の開式の言葉に耳を傾ける少年がいました。
「これから,昭和四十二年度S小学校秋季大運動会の開会式を始めます。」
これをきいて,「昭和四十二年度S小学校秋季大運動会」って言うのか・・・と思いました。
開会式の閉式の言葉にも,真剣に耳を傾ける少年がいました。
「これで開会式を終わります。赤も白も一生懸命頑張りましょう。」
あれっ!「昭和四十二年度」は省略したな。ありゃ!「赤も白もがんばりましょう」かー・・・
閉会式では何て言ったらいいのかな・・・?・・・しばらく考えて・・・
「これで,閉会式を終わりにします」でいいや。それに決めた!と。
競技が終わって,いよいよ閉会式となりました。心臓がドキドキしています。一つ一つが済んでいよいよ閉式の言葉になると,ドキドキは最高潮に達していました。
壇上に上がり,礼をしてマイクの前に進み出ました。
「これで」,と言ったところで,<こんなに大勢の人の前で言うのだから,ちゃんと言わなくちゃ>と瞬間的に判断した脳が,口に命令しました。
・・・昭和四十二年度S小学校秋季大運動会の閉会式を終わりにします。」
言い終わりました。 ほっとしました。礼をして階段を降りても,心臓はドキドキ,膝はガクガクでした。
終わって教室に戻っても,担任の先生は私に何も言いません。

ここまで書いて,ふと思いました。
もしかすると,先生は,指導もしたし,終わった後で何か言葉をくださったかもしれない,と。ただ,私の脳裏に全く残っていないだけなのかも,と。
いやいや,それほど先生を立てなくてもいいかもしれません。何しろ全く記憶にないのですから。
まあ,先生の指導はどうであれ,自分にとっての「閉式の言葉」は,これだけ鮮明に覚えている出来事であり,その後の自分に自信をつけるまたとない体験であったことは事実なのです。

明日は運動会。児童が自分に自信をつける素晴らしい運動会となることを期待して・・・。
[PR]
by tan230 | 2007-09-21 20:09 | 教育

道徳教育の位置

教育再生会議の第二次報告(6月1日)の内容について述べます。
この会議は安倍前総理の肝いりで招集されました。安倍総理が退陣した今,三次報告は出さずに会議は解散するのでしょうか。是非そうしてほしいものです。第二次報告を読む限り,こんな報告しか出せない会議に莫大な税金が使われたのかと思うと忸怩たる思いにとらわれるからです。
第二次報告の学校教育に関する部分では次のような提案がなされています。
------------------------------------------------------------------------------
Ⅰ 学力向上にあらゆる手立てで取り組む -ゆとり教育見直しの具体策-

提言1 授業時数10%増の具体策
【夏休みの活用,朝の15分授業,40分7校時の実施,土曜日の授業実施】
提言2 全ての子供にとって分かりやすく,魅力ある授業にする
【教科書の分量を増やし質を高める,主権者教育など社会の要請に対応した教育内容・教科再編,全教室でITを授業に活用,「教育院」構想,全ての子供一人ひとりに応じた教育】
提言3 教員の質を高める,子供と向き合う時間を大幅に増やす
【社会人採用のための特別免許状の活用促進,授業内容改善のための教員研修の充実,教員評価を踏まえたメリハリある教員給与体系の実現,教員の事務負担軽減】
提言4 学校が抱える課題に機動的に対処する
【学校の危機管理体制の整備,学校問題解決支援チームの創設,学校,教育委員会の説明責任,全国学力調査の結果を徹底的に検証・活用し,教員定数や予算面で支援】
提言5 学校現場の創意工夫による取組を支援する
【学級編制基準の弾力化や習熟度別指導の拡充,学校選択制を広げる,教材開発など教員のチームによる取組】

Ⅱ 心と体 - 調和の取れた人間形成を目指す

提言1 全ての子供たちに高い規範意識を身につけさせる
【徳育を教科化し,現在の「道徳の時間」よりも指導内容,教材を充実させる】
提言2 様々な体験活動を通じ,子供たちの社会性,感性を養い,視野を広げる
【全ての子供に自然体験(小学校で1週間),社会体験(中学校で1週間),奉仕活動(高等学校で必修化)を】
提言3 親の学びと子育てを応援する社会へ
【学校と家庭,地域の協力による徳育推進,家庭教育支援や育児相談の充実,科学的知見の積極的な情報提供,幼児教育の充実,有害情報対策】
提言4 地域ぐるみの教育再生に向けた拠点をつくる
【「放課後子どもプラン」の全国での完全実施,学校運営協議会の指定促進】
-----------------------------------------------------------------------------
この報告に対して玉井康之氏(北海道教育大学長補佐)は,*「文科省の既設の文教政策を追認したもので,新鮮な提案ではない」と痛烈な一撃を加えています。
特にⅡの提案1の「徳育の教科化」には,開いた口がふさがらない思いをしましたが,8月31日付の読売新聞社会面記事「日本人のマナー『悪くなった』88%」の中の「政府の教育再生会議は,道徳の時間を徳育として教科に格上げする方針を打ち出している」というくだりには,呆然としてしまいました。
教育再生会議には,教育学者は一人もいないのでしょうか?
吉田武男氏(筑波大学大学院准教授)は,*「教育学の視点から見れば,徳育の教科化は,道徳教育の格上げではなく,愚弄的な格下げを意味している。」「道徳教育は教科教育のうえに位置づけられるべきものであって,いやしくも教科教育と同列に扱うべき程度のものでは決してないのである。」「道徳教育は,指導方法を工夫して時間をかけさえすれば大部分の知識・技能を習得させられるような教科教育とは根本的に異なっているからである。」と述べ,稚拙極まりない提案に一喝を与えています。胸のすく思いです。
私は,このような提案が出てくる背景には,文科省の作成した生きる力の構造図に問題があると思うのです。
「確かな学力」を上に置き,左下に「豊かな人間性」を,右下に「健康・体力」を配置した「生きる力」の構造図・・・豊かな人間性も健康・体力も「下」で,学力が「上」・・・です。
提言には,健康・体力は一言も触れていませんが,構造図どおりに軽く扱ったとしか思えません。

c0118193_15455760.jpg


私は,生きる力の構造図をAからB(豊かな人間性の中に確かな学力・健康体力が含まれる)へ転換することこそ「教育再生会議」が提案すべき内容だと思えてならないのです。

* 教職研修(2007.9月号 教育開発研究所)から引用
[PR]
by tan230 | 2007-09-18 19:37 | 教育

マナーの問題は「ゆとり」の問題

9月3日付けの読売新聞社会面に,「悲鳴をあげる病院」なる記事がありました。急患のために行っている夜間診療に,緊迫した状況にない患者が我が物顔で診療を受けに来る,待ち時間が長いとキレて看護士に暴力を振るう,などなど。テレビを見れば,NHKの「クローズアップ現代」で最近増加傾向の「キレる中高年」を特集していました。例として紹介された事案は,通勤電車内。混み合う電車内に立っている真面目そうな中年男一人。男の立つ直前のソファに座っていた女子学生の携帯電話が鳴ります。電話を受けて話し始める女子学生。その様子を目をつり上げて見ている男。女子学生が電話を終えた瞬間,男が叫びます。
「おい,おまえ!電車内で携帯を使用しちゃあ,だめだろー!」
黙って男を見る女子学生。男は,さらに興奮した声で叫びます。
「なんだ,その目は!おまえは謝ることもできねーのか!みんな迷惑してんだよー!」
女子学生が言います。
「あなたの大声の方が,よっぽど迷惑です!」
男はますます興奮して叫びます。
「なんだ,このやろー。マナーも守れねえ小娘がー!」
女子学生が立ち,電車を降りようとするのを男は追いかけます。開いたドアから降りようとする女子学生の背中を男は両手に力をこめて,ドーン・・・。駅の構内に倒れる女子学生・・・
今や,キレて事件を起こす数は30~50歳の中高年で増加の一途なのだそうです。

事例をいくつか見ると,「キレる」事件には,二種類あることに気づきます。
一つは,人の迷惑を考えず,自分の思うとおりに事が進まないとキレるというもの。もう一つは,正義を振りかざし,マナー違反する人を一切許せなくてキレるというもの。
この後者には,深く考えさせられるものがあります。教員の児童生徒への体罰も,後者に属するのではないでしょうか。「自分の考えは正義である」という思いが曲者ですね。正義を振りかざしつつ不正をするとなれば,それは悲しい哉,不正以外の何者でもありません。

時の中で忙しく前へ進もうとする現代の日本。社会全体のマナーの低下が巻き起こす数々の事件。
文化も科学も豊かさ,便利さ,快適さを追い続ける世の中で,「待つ」とか「耐える」とか「辛抱」することのできない人間が増加しているということでしょうか。これこそ,まさに「ゆとり」がないということではないでしょうか。
学校も「確かな学力を身につけさせる」ことを第一の命題として,「自主性を重んじる教育」から「詰め込み主義の教育」への回帰が,すでに始まっています。

昭和53年,「ゆとりと充実」に始まった「ゆとり」路線は,全てが間違いだった,失敗だった,という烙印を押されました。「教育の現代化」への批判から教育内容を削減して笑顔で登場した「ゆとり」です。今や,体中痣だらけ,悪者,罪人扱いです。
「確かな学力」は,確かに快適な響きです。しかし,確かなものとは測定可能なものでありましょう。そうだとすれば,記憶力,身に付いた知識・技能です。学ぶ意欲も関心も含むなどと言われても,それらは心情の世界のものであり,「確か」なものとして測定できるほど単純なものではありません。それらは「確かでない学力」と言うべきでしょう。
知識,技能を一方的にたたき込むのではなく,興味を持たせながら,意欲を高めながら,じっくりと身につけさせていくという,辛抱そのものの取り組みが教育だと思います。
今日は全く覚えられなかったものが,一年後にはすんなりと覚えられるということもあります。まあ,尻をたたくまねをしながら(本当に叩いたのでは体罰になってしましますから)「たたき込む」こともあっていいでしょうが,そんな時でさえ,教師の心の中には,「ゆとり」が欲しいものだと思います。

私たちは,時計の振り子のように揺れ動く施策や世の風潮の「ど真ん中」にどんと座り,じっくりと腰を据えて,右を見て,左を見て,慌てることなく,温かな眼差しで目の前の子どもたちに,質の高い教育を行いたいものです。

いつかまた,再生回帰して不死鳥の如く炎を燃やすであろう「ゆ鳥~ゆとり~」の飛び去る姿を「またね!」と微笑みをもって見送りながら。
[PR]
by tan230 | 2007-09-10 08:50 | 教育